寝物語の里
2010-09-11


会社の部長さんが、偶然にも滋賀県出身だということを知り、県内の色々な史跡や名所の話題で盛り上がった。

かれこれ、滋賀県とも20年近い付き合いになるので、大体のところは知っているつもりだったけど
全く名前すら知らない史跡を教えていただいた。

「寝物語の里」

中山道沿いの集落で、ちょうど美濃(岐阜)と近江(滋賀)の県境がその場所

江戸時代の国境の多くは川や山、峠であることが多い
(当然、地理的政治的な緊張も伴う場所であり、関所もあったことだろから当然か。)

この、寝物語と呼ばれる地域は、街道沿いに普通に家が立ち並び、家と家の間の小川が
国を隔てる境界線ということだ。
隣り合う旅籠の壁を隔てて、今風にいえばピロートークで違う国の旅人と夜な夜な話をしたという
なにやら、風情があるお話

江戸時代は国が違えばお金も文化も言葉も違う。
並ぶ集落で、お金や言葉が変わるなんて、地理学的に見ても面白い

ということで、今朝のマラソンは実際にそこを見てみようということで、
南彦根から柏原まで、電車で移動

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県境の駅、柏原は伊吹山も近く、風情がある。
ローカル駅そのものだ。

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街道をゆっくり走りだす。道端のケヤキ、大ぶりのベンガラ塗りの旧家は中山道や湖北特有の風景だ。
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米原市(旧山東町)長久寺の集落に到着、名神とR21とJR東海道線がひしめく、交通の要衝
とはいえ、ギリギリ山越えをしなくていい程度の標高であるのが、この地域の特徴を生んだようだ。
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まさにこれが、県境、川というよりは溝だ。
この溝を隔てて、旅籠などが建っていたのだろう。
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左足が岐阜県不破郡関ケ原町今須、右足が滋賀県米原市長久寺、、国をまたぐ男(笑)
まあ、ここに来た人ならみんな同じようなことをやるに違いない。。。
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野さらし紀行で、芭蕉も通った場所、岐阜県側には
芭蕉の句碑も整備されていた。

春まで、毎日近江から美濃まで通勤していて、この場所近くのJRに揺られていたが
こんな風情のある興味深い史跡があるとはしらなかった。教えてくれた部長さんに感謝だ。

確かに、行政区が分かれるので、アスファルトの舗装や、道端の側溝のふたの種類がちがったり
現代でも県境を感じさせるものだったけど、
一番わかりやすかったのはほぼ隣り合う民家の、ガレージにある車
きっちり滋賀ナンバー、岐阜ナンバーに分かれていた。

柏原駅から寝物語の里まで、往復4Kmほど、
歴史と地理の興味をそそられる早朝のランニングでした。

来年の大河ドラマでは、5年ぶりに滋賀県の湖北が舞台となる。
乱発するゆるキャラが行き交う商店街も賑わいとしてはいいけど、
大人の知的好奇心をくすぐるようなうんちくも絡めながら、一見さびれた史跡に
人を呼び込むことができると、息の長い観光集客ができるのではないか、

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